バルザックが「すばらしくよくできた機械」について書き記した言葉:

「すばらしくよくできた機械」とは実に因果な商売だ。
私の言う「優雅な生活」を送る人びとからは対局にいる

法の番人面をしているけれども、実は自分たちが「労働する人間」の宝棒を上り詰めるための足台として利用するために取得したものだ

叫び、脅し、おもねって、多くの人々に「暇なし生活」を
押しつけようとする

彼らは、純粋に「労働する人間」からは一目置かれ
「思考する人間」のようで悪意に満ち
「何もしない人間」を法というむやみやたらの
凶器で悪と脅し込む

神の造った人間の未熟な心理に踏み込み、逆なでし
王侯貴族のように分別し、仲裁し判断し、結論づけようとする。

「芸術家の生活」は分からず、「優雅な生活」には生まれたときから
無縁であり、ひたすら「暇なし生活」を推し進めようとする

確かに彼らは誤解の中で一生を棒に振る

こうした連中は地球に足をつけていることが
幸せであって、宇宙天空が頭上にあることは知っているが
決して、見上げようとはしない

彼らの祖先の墓が地表のぬくぬくとした大地の上に
確実に存在しているという事実だけが慰めである

こうした連中の頭脳では、芸術家の存在は
山積みされた書類と、まだ投函されていない
請求書の束と等価であって
それ以上でも、それ以下でもない

借金して買った着物の皺を取り去ることに
その人格の大半を消費してしまっている

代々続いたあわれな百姓の鼻水のような土地を受けついだ
現代のマンション大家たちから世知辛い金品をせしめ
彼らの代理人を買って出たはいいが
こそ泥よろしく何時かはこいつらを丸裸にしてやろうと
虎視眈々と狙っている

この高級機械たちの頭脳の中に想像力を求めようとするのは無駄骨で
それでもあきらめず、開頭して脳みその節々に潤滑油を
垂らしてやろうとするのも疲れ果てる

これらの人々が晩年「優雅な生活」があることに気づき
あわてて住み替えようと全財産を投げ込んでみても
時すでに遅し、うまれついての労働階級の英雄は
最後の最後まで、Working Class Heroだ

どこか間の抜けた正装着を身にまとい
人生最終コーナーでラッパをふきならしつつ
よく肥やされた大地の寝床に帰って行く

三日もすれば、落ち葉が墓一面を覆い尽くし
彼らの痕跡は跡形もなくなってしまう

そしてまた新たな若者が
六法全書を頭上に携えながら
田舎から出てきて、都会の悪に立ち向かおうとする

いつも権力者が作り上げた法という
陳腐な鍬で、都心のアスファルトを耕そうとするのだ

スチール写真へのこだわり

ロジャー・フライがセザンヌ論のなかで、このような言葉を残している。

「・・芸術家の純然たる自己啓示が頻繁に示されるのは静物画においてだからである。

他の主題では、どんな場合にせよ、人情が介入する。・・」

芸術家は何ものかを、いってみれば芸術の種を自分の中に見いだすために、静物を介して手探りし実験し、導き出そうとする。なにを・・それが、生まれ出ずる悩みであり、創造なのである。

これが人物やその他の静物以外のものでは、なるほど、人情が介入する。つまり、相手に気を遣ったり、煩わされたりして本来の物との純然たる会話がなくなると言うことであろう。

そういう意味では、ジャコメッティーと矢内原伊作との関係は特異なものであった。ジャコメッティーは人情の介入を極力排除しようとし、矢内原は自己を静物化することに徹したわけである。

絵画における描き込む行為、描き込むことでさらに内奥に導かれていくわけであるが、写真では同様な過程は、深淵をのぞき込む行為を激しく課すことで置き換えて行くわけである。事象を押し曲げてでも、観念を表出させなければ写真という行為が成り立たない。

絵画ばかりでなく、写真に於いても、と言うより写真であるからなおさら、雑念の介入に気を遣う必要のない静物の撮影は、我々にとって必要欠くべからざるものである。

宮本輝

小説は最初の一行目で決まる、僕は本当にそう思う。

不思議にすーっと長文の中に入っていってしまうような文章もあれば

本の半分までを読み進んでもなお読み手を輪の外に押し出すような文章もまたある。

もっともそれはそれで、我慢しながらも読み進ませるのであるから、名文ではないにしても書き手の個性と評されてしかるべきかも知れない。

ある日曜日の午後、ふと立ち寄ったフリマで何冊かの単行本に眼をやった。その中の一冊の著者は以前から気になっていた人物だったので、躊躇することなく購入することにした。「宮本輝」ちょっと以前名を馳せたNKの「宮田輝」を思い出し、ふざけた名前だと彼を知らなかったときにはそう思っていた。だが彼の書いた小説のひとつを読み始めた時にはっきりとよみがえってきたのである、学生時代にある人物の詩を読んで抱いた感情と全く同じ感情が。明らかに嫉妬心ではあるが、あたかも格の違う相手に打ち負かされたときに感じる不思議な満足感にも似た様な安堵を伴った感情が・・

それは大学生のころ、ちょうど十一月の初頭あたりであったと思う。学園祭で執行委員をしていたときに同じ委員の中に「現代詩手帳」の常連、しかも撰者らに「この人は自分の世界がある、投稿などせず独自の世界を纏めればいい」とまで評されていた、K.Iがいることに気づいた。その少し前にそんな選者に評されたK.I の詩に出会ったために中学のときから書き溜めていた自分の詩のノートを焼き捨てたばかりであったから、彼を目の当たりにしたときには、ずいぶんと面食らったものだった。

「宮本輝」の小説「青が散る」をよんで、これは教科書であるなあと感じ入ったものだ。

人物表現の巧みさは、これを欠く小説の多いことでもわかるのであるが、全く舌を巻く。

今ここにもしも自分で書いた小説の山があったとしたら、また火にくべていたかもしれない。それがドフトエフスキーだったり、森鴎外だったりしたならば多分そんな感情を抱くこともないだろう。あまりにも自分とは違いすぎるからである、比べる気にもならない。

風俗習慣が違いすぎることも一要因ではあるだろう。しかし彼との少しの違い(もっともこの少しの違いが素人とプロの永遠の隔たりであることを、今は理解できるのであるが)があたかも自分を代弁してくれているように思われとても卑近に感じることでなお一層自分自身とオーバーラップして行き、最後には自分で書いているような錯覚にも陥るのである。しかし徐々にではあるが、頭の中のイメージを文章で具現化している技術的なすごさが見はじめてくると、ここでその少しの違いが永遠の違いであることに気づかされるのである。

こうして宮本輝は僕にとって名教師となった。宮田輝を抜き去っていったのである。

ちょっと一服

ずいぶんと時間は懸かったのですが最近やっと時節が煮詰まって来たと言いましょうか自分の作品へイメージと作り上げる作品との整合性、またそれに対する人々の評価などをすべて受け入れて、咀嚼し表現することに自分自身が納得出来るように成って来ました。

ひとつには作家活動と経済活動の車の両輪であったコマーシャルの理解に明確な答えを出せたこと。また自分の武器としての「撮る対象」を一つに絞り込んでもいいと思えるようになって来たことなどがあげられます。

そうすることでもう一方の作家活動における被写体にも明確な思いを込めることが出来るようになって来ました。こちらも撮る対象を明瞭に把握し、合点がいくようになってきたのです。おしなべて作家としての自覚が出来てきたともいえるでしょうか。またこの国での作家活動の原理を射程距離内に収めることが出来てきたようです。

ちょっと横道にそれますが、たとえ話です。

あるボランティア活動の集会に参加する必要があったのですがどうもあまり気乗りしない。でもその会で何かしなければならないことは理解しているのです。いやいやながら少し遅れて行ったらすでに多くの人が甲斐甲斐しく働いていました。

ある人はてきぱきと指示をだし、ある人は手際よくものを並べ、人を案内し、またある人は駐車場の車の配置に気を配ったり、買出しにいったりととてもにぎやかな状況で、後で言った私の入る余地など全くないかのようでしたが、でも何かしなければ成りません。

やっきになって仕事をみつけそれなりに調子も上げて行き、いつのまにか傍からはその会の中心人物になったように見えるまでに成っていました。

しかし本人の違和感は最初と一向に変らず傍目を気にしてはあえて流暢に振舞おうとしていました。会も終わり後片付けも最後までやり遂げ気づいたたときには私だけしかもう残っていませんでした。

ここであれっと思ったのでした。みなその会の中心人物のようであったのに結局誰一人として責任者はいない、なんだか私だけがその会の運営者だったような終わり方だったのです。

うまくいえないのですが、なんだか日々の人生なんてこんな様なものではないのでしょうか。

結局だれもが他人に依存している、知ってか知らないかには関わらず、みなお互いにもたれあっているし、そのうえ人任せだったりするのですね。「自分が自分が!」といっているうちにみんなもう帰ってしまっている。

芸術活動も然り、祭りのあとには自分しか残ってはいないのです。

結局自分のために自分を楽しませるためだけに作品作りすることが、回りまわって他人をも楽しませることになるのではないでしょうか。そして、その楽しませ方に応じて作品の評価が決まり、最終的な「お買い上げ」となる。

まあ時間のかかることではあるのですが、これがこの日本で活動する上でのマニュアルのような気がします。

いままで、人と機会に恵まれなかった私でも、いつかきっと誰かとの出会いが幸運を呼び、チャンスを与えられるかも知れません。それまでは地道に努力し、作品を発表しては皆さんの反応を気にしつつも、自分に忠実な生活を可能な限り営んで行く所存です。

だれか、パトロンになってくださいませんか。期待していますから。

はちゃめちゃ芸術起業論

今日は芸術家が成功するための受験参考書のような村上隆著「芸術起業論」を中心としてお話を進めたいと思います。

これは見城徹の幻冬舎から出ていることを考えると、ひと癖ふた癖ありそうな書物だということが言えそうです。

現に私の言いたいことのほとんどを語ってしまっている。語り口はいろいろあるでしょうが、本質として芸術家がこの国日本で生きていくためのノウハウのほとんどすべてを公開しているといっても過言ではないでしょう。

とはいえ、すべてのこの本の読者(芸術家)がこの内容どおりにことを運んで行っても、心配しないで下さい、決して村上氏と同様な成功を収めることは無いでしょうから。なぜならばすでに名声を勝ち得ている氏がこの本でもう一儲けしても、読者は収益の一部すら入ってはこないでしょうし、そもそもスタートラインが違っているわけですから、同じような水準に達するまでには、相当な時間がかかると思われますので、この時点での同様な成功を望むのは今は難しいと言っているのです。

しかし、この本の示唆するところは意外と大きい、たとへば芸術家がギャラリーやキュレーターの食い物にならないようにするための具体的な方向性を示したりしています。

日本のギャラリーはアーティストに制作費などを出さないですね、自前の費用で作品を作らせて売る、売れなかったとしてもギャラリーサイドでは一向に困らないわけでして、結局作家だけが使い捨てになってしまう可能性が大です。

芸術家は営業能力が無いわけだからギャラリーに頼らざるを得ない、結局駒のひとつに成ってしまうと言うわけです。

このジレンマを解消すべく村上氏は自ら企業としての工房を作ったのです。この日本で彼は自らを露呈してゆくことで、この日本のジャンヌダルクになろうとしているのかもしれませんね、岡本太郎がそうであったように。

彼は芸術家に必要なのは、技術ばかりではなく、哲学であるといいます。つまり新しいジャンルを確立すること、その分野への新たな入り口を作ることが大切であり、これが欧米社会に受け入れられる手段だとも言っています。

私は実はある時期まで作品に対する妙なコンプレックスがありました。というのも、ひとつの作品が作りたいというのではなく、その方法論に発見興味があったからです。

具体的には、印画紙で写真を撮るというNS-Systemの確立、また写真で絵画を描くNS-Painting、動くことで立体を表現するという方法論、明部ではなく、影の構造など、一つの作品で云々するというのではなく、写真というものを使って新しい表現を模索し続けていたのです。

このため一作一作のモチベーションがあいまいになってしまうこともたびたびありました。

彼はこのことこそが重要であると言ってくれているのです。一口で言うと彼は日本という市場と欧米という市場とでは根本的にその市場のあり方が違っているといいます。江戸時代の文化がそうであったように、いまもまた芸術の世界では閉鎖的なサークルのなかでのみ日本の芸術は成り立っているというのです。

大学で収入を得ながら教鞭をとる教授と親掛かりの学生たち、この卒業までの不思議な4年間のみが夢と希望のアートライフを送れる期間なのです。学生たちを追い出してしまえばあとはまた新しい生徒に夢と希望を与えるという仕事が待っています。

私たちははじき出された学生なのです。自分のしたいように表現し作品作りをすることがアーティストであると思っている諸君、ではこれからだれがあなたの作品づくりに協力してくれるのでしょうか。また制作費、生活費などの必要経費を捻出してくれるのでしょうか。

私もこの年になってもまだ細々とコマーシャルなどで生計を立てています。

ここで村上氏は自らの足で立つて、自らの芸術を救えといっています。そのためにはお金のあるもののニースを満たせとも言います。これは至極当然のことで、ダビンチなどもそうした金持ちたちがパトロンだったのです。

ただし彼はもっと組織的に、もっと企業戦略のもとにことを進めよともいいます。欧米の文化に評価されるためにはそこに方程式が存在するとも言います。

ここで欧米などには評価される必要などないとおっしゃる方は、「振り出しに戻る」ご勝手に。

つまり欧米特に欧州が長い間に培ってきた芸術の年表のどの部分に「あなたの」作品は対応しているか!これが大切だといいます。

まさにその通りだし、わたしもそうしてきました。歴史文化のなかで自分の作品の位置するところを確認することなくいかに作品を作り続けることが出来るでしょうか。

個展を振り返って

個展終了後二日、三日してから会場に行ってみると、まだ会場には写真がそのまま飾ってありました。まるで今日からオープンするように。

なんだか幸せな感じがしてその場でもう一度ゆっくりと、そして改めて全作品を見つめ返してみました。

会期中何度も見ていた作品だけれど、今回はいやな感じがしなかった。こんなこと言うのはちょっと変なんですが、いくら自分の写真といっても、写真によってはなんとなく「ちがうなー」とか、「ちょっともう見たくないなー」とか、「どーもちょっとせせこましいな」とか・・、展示前にはこの作品しかないと思っていたものが、いざ展示してみると、「どーもこの作品は違うなー」というように感じることがあります。

毎回そんな写真が一枚や二枚はでてくるものなのですが、今回は何度も何度も見つめなおしたせいでしょうか、そんな写真は一枚もありませんでした。

写真とはじつに不思議なもので、同じ写真でも大きさによってずいぶんと見え方や感じが違ってくるものですが、それだけではなく実際に展示場所に持っていってみなければわからない感覚があるのです。

これは、組写真で三枚組み、五枚組み、十枚、二十枚、それ以上の枚数のものにも当てはまることで、その写真のもつ良さといいましょうか、だめさといいましょうか、真の価値といいましょうか、ふっと見えるものがある。とくに自身の作品となると思い入れがあったりで、なかなか作品の真の部分が見えてこないことが多いのですが、その会場に収まったときに独特のマッチング感や、逆に違和感を感じることがあるのです。

作品の優劣、善悪、価値の有無ということではなく、その作品の持っている個性とでもいいましょうか、そんなものがはっきりと見えてくるのです。

気の小さい作品もあれば、剛毅なもの、遠慮深げなものや、ずいぶんとふてぶてしい物など、一枚一枚にそれ自身の性格なるものがあることに今回はじめて気づいたのでした。評論家諸氏の批評眼とは別の次元の感覚、作者自身の色眼鏡で見るのともちょっと違った作品自身に個性があることに気づいたのです、これは写真の新しい見方として存在しているような気がしてなりません。

それと今回「ギャラリー新居」と出会えたことが私自身にとっては実に大きかった。いままでの写真ギャラリーでの展示はそれなりに意味のあることではあったのですが、そろそろ卒業してなにか次のステップアップを求めている矢先だっただけに、この出会いは感謝でした。またいろいろな面で勉強になったし、新居氏はじめギャラリー関係者の見識とプロ意識に感動させられました。

私が無知であることは、恥ずべきことなのですが、それはそれとして、写真を売るとはどういうことかとか、作家として生計を立てるための方法論とか、彼らからさまざまな知識を得ることで作家としての自覚と確信を新たにできたのも、彼らのおかげでした。(新居さん、正木さん本当にありがとう)

例えばエディションナンバーの意味、漠然とは知っていたこのエディションという言葉、これはいろいろな状態があるようですが、同じ絵柄の写真作品でも、その大きさが違えばエディションは新たに付けることができるとか、エディションナンバーは多ければいいというようなものではなく、おのずと常識の範囲があるとか、作者などのもつ特別な作品は別のエディションを付けることができるとか、人によってはエディションをつけない人がいるとか、累進課税のように若い番号の時には作品の値段は安く、エディション番号が大きくなるほどまた作品の値段も上げることができるとか、エディションの話一つをとっても、とても多くのことを含んでいる、これはそのときそのときに教わらなかったら、知ることが難しいかもしれません。

このような事柄ひとつとってみても今までには得ることのできない貴重な体験だったと思います。

いまは個展が終了した後の余韻・・というよりいろいろなしがらみを脱ぎ去った後のような、すがすがしい気分でいっぱいです。

さあー、つぎ、いこー。

個展について

Kot_01

みなさん、今銀座のギャラリー新居で個展やってますよー、ふるってお出かけくださいませ。

ところで、左の新聞の切り抜きは、27日読売夕刊「シティーライフ」に出ていた記事です。ここに使われた写真は、今回の個展作品としては、真っ先に出来たもので、やはり一枚選べといわれれば、この写真が紙面を飾るにふさわしいと今見ても思います。

今回の個展は、実はロダンの「地獄の門」にインスパイヤーされたわけですが、理詰めなところも実はたぶんにあって、ある意味モランディーのビンや坂本繁二郎の能面などの「物感」や岸田劉生のりんごなどにも深くかかわっているといったら、みなさんは冗談だと思うでしょうか。

ただアプローチの方向が彼らと、また後から出てくる人物たちと若干違っていて、対象物を見つめ続けてこれ以上そのものと関わることが出来ないまで、自分の感性を追い詰めてゆく方法をとってばかりいると、そこには緊張感と真剣さだけがあふれかえっていて、いってみれば真剣でのきりあいとでもいいましょうか、いつまでも続けていると疲れてしまうわけですね。

とくに写真なんかでやると、決定的な写像を定着させる瞬間まで訂正を繰り返してゆくわけで(これが絵画とは違うんです、絵画は一点一画ずつその場ぞの場で修正を加えてゆくことが出来き、出来上がったものは言ってみれば修正の塊ですね、ところが写真は固める瞬間まで写真を撮り終える瞬間まで修整し続けるチャンスはあるが、その最後の最後まで果たして実際にこれでいいのか、固めてしまう瞬間の画像なのか、という判断に苦しむわけですが、シャッターを切り終えた後には今までのありとあらゆるものが焼きついてしまいますので、修正のあとなど何にも残らないのです。これは演繹と帰納法のようなもので、優劣をつけるというようなものではない、表現手段であって、結果のよしあしにつながるものではないのです。

それを今回は右から左の一方通行的なアプローチではなく、左から右を見つめる行為があってもいいと考えたわけです。つまりさっき言ったように、劉生の「りんご」にかぶりついて食っちまうアプローチが右から左の一通だとすると、りんごが勝手に変化していってしまうのをりんご側から、りんごの裏から見据えようということなのですね。実際のりんごはほっとけば腐ってしまうわけですから、わざわざ変化をもとめずとも、一週間から二週間ばかりほっておきさえすれば、かってに変化してくれるわけですが、ここで私が言うりんご側からの変化は、これとはちがって、あくまでイメージの中でのこと、自分自身の心からの見え方のこと、そのりんごの変化を写真でつなぎとめようということなのです。

実はさらにここに自画像であるということにもう一枚味があって、変わらぬ自分を変化させる、別の自分、他人にしてしまう。しかもその変化を画像につなぎとめておかなければ、自分自身で変化しましたといっても、他人にはわからないわけですから、実像として残さなければならなかった。

つまり、今回の自画像はそのようにして生まれたもので、ただのブレボケ写真ではなかったというわけです。シンディーシャーマン、ナンゴールデンや澤田さん、森村さんたちが試みた心的、外的な自画像、ポートレートとはちがった私自身の発明した自画像表現が、今回の個展の実は一番言い表したかったことなのです。そして最終的に出来上がったものは、自分が動くことで空間を埋めながら作った立体像で、写真の彫刻だったわけです。

まあそれはそうとして、今回のオープニングの写真が出来たのでアップしておきます。本当に多くのかたがた、先輩諸氏に来ていただき、いくら感謝しても感謝しきれない気持ちで、いまもむねがいっぱいになる思いです。Kot_02 Kot_04 Kot_05 Kot_03                      

個展当日の心境

いよいよ今日の午後6:00時から、銀座のギャラリー新居で個展のオープニングパーティーが始ます。だれが来てくれるのかが楽しみです。ちょっと緊張して出番を待つ吉本興業の新人お笑いタレントという心境でしょうか。

親友からの花の贈呈、先輩諸氏の来訪、どれもこれもうれしくもあり、一方で和紙を重ねるように緊張感を心臓に積み重ねてゆくようです。

昔、一生のうちで、ただ一回だけ個展を開いた人がいました。夫婦でスピーチの時に涙しながら、よかったよかったと抱き合っている光景をみて、おおいに「しらけ」を覚えたものでした。

個展なんて、無限に繰り返していくもので、その場にとどまっているものではない、というのがそのときに私が抱いた感情です。

ある意味、今でもそれはそれで残っていて、やはり個展など作品を発表し続ける行為はアーティストとしては当たり前のことで、別段特別なものではないと思っていたのです。

でも、よーく考えてみると、作品を作り上げたときや、作っている最中に作家としての役割はすでに終わってしまっていて、というのも後は自分のイメージを形に表すだけであり、全体の質感まで決定してしまっている。

すでに完成したという満ち溢れる充足感で、その時点で自分自身に対するご褒美はすでにいただいているわけで、そういう意味では、やはり個展会場にお集まりの諸氏が、実はその場の主役であると言う、実に単純な当たり前のことに気づいていなかったのです。

彼らは、作者のためにわざわざ時間を割いて集まってくださっている。つまり、作者は愛されているわけですね、彼らに。そこで、二つ目のご褒美を頂戴しているというわけです、作者は。

お世辞であれ、真実であれ、いくらけなされでも、ほめられても、もうすでに作って発表してしまったわけですから、いまさらどうすることも出来ないという、じたばたした様子をも理解し、わかってくれて、また無償のチア・コール賛美を授けてくれる、そんな人々に感謝する以外に我が個展のオープニングパーティーであらわしうることが他にありえようかという思いがあって、先に夫婦で抱き合った先達の心境が、まったく一緒というわけではないけれども、ある意味わかる状態になっているのです、今このときに。

ひとつ、いつもはどーも人前では恥ずかしくて出来ないのですが、今日ばかりは祈らせてください、心からそうさせてください。

今日私の個展に来てくださった、諸氏諸先輩に大いなる主の祝福がありますように、

彼らの未来に発展と輝かしい平安、安らぎがありますように。

願わくば彼らの犯した罪を主が忘れ去ってくださいますように。

平安と愛と慈しみと、友愛と哀れみを主が与えてくださいますように。

願わくば、この小さきものをも主が忘れることなく、哀れんでくださり、これから先も立ち行くことができるように、導いてくださいますように。すべて主がご存知ですから。

すべてを感謝して、

主イエス・キリストの御名において、心よりお祈りいたします。アーメン

ニューヨーク・ニューヨーク

十月も最後の週にニューヨークADCからのお誘いを受けマンハッタンに行って参りました。毎年この時期になると世界中から100人の写真家たちを選び、またアメリカ本土からディレクターやエディターを選び、一同に会しての交換会を催すのです。今回で三度目の出席となりましたが、ADCのギャラリーで催されたこの会も100人もの写真家で占めるには、そろそろ手狭になったのでしょうか、ことしは75人限定の催しとなったようです。

会長のMyrna Davisさんのご挨拶のあと会場がオープンされましたランチの為にテーブル席も用意され、会食しながらの楽しい催しとなりました。

この会の主目的は、写真家・カメラマンとディレクター、エディター、デザイナーたちとの交流に有ることは分かり切ったことなのですが、出会いを大切にしている様子がうかがえて、とても好感が持てる催しだと思っています。

息が合ったもの同士が結びつくことは結婚ではありませんが、自然の成り行きでもあり、日本でも、代理店、出版社などがもっと積極的に若いあふれる才能どうしを結びつける努力をしても良いのではないかと、ちょっと考えたりもしました。

1_1  ここに来る写真家達は各自でとても工夫したフォトフォリオを持参しています。表紙を木で作ったもの、アクリルのケースに入っているもの、みなとても凝った作りのフォトフォリオを持ってきていました。

今回は全体としてファッション、ポートレート系の写真が多かったように思えます、私としては「物」の表現のバリエーションをもっと見てみたかったのですが。

最近はインクジェットでの出力が増え、両面に印刷したものなど様々な調子のものがアレンジされ、見ても飽きの来ない作りになっています。

2 左の写真のように、75のブースに分けられたスペースに座っているところに、デザイナーなどがやってくるわけです。そして、机の上のフォトフォリオに目をやり、お互いの情報を交換し合う。気に入れば連絡し合って具体的な仕事の話しなどに発展するというわけです。

ただしうまい話ばかりではありません、以前にこんな事がありました、あるディレクターが私の写真をとても気に入ってくれて、連絡先を渡され、ぜひ連絡してくれと言われたので翌日電話を入れると・・「私は貴方を知りません!?」「は?」一瞬、電話番号を間違えたのかと思ったのですが、名刺を確認しても、先方の声からしても昨日の本人に間違いない・・・

これは極端な例かもしれませんが、往々にこんな風景に出くわすときがある、これはアメリカだけのことではないかもしれませんが、ちょっとばかり面食らった一瞬でした。

また、当たり前のことですが、アメリカでの仕事はアメリカに住んでいなければ続かないような気がします。レップ制も浸透しているようですし、アメリカに住んでいるカメラマンとして仲介人に任せ交渉してもらい、仕事をすることが一般的なのでしょう、ただしいったりきたりする体力のある人がその資格を得られるということです。

知り合った写真家の一人は世界に4ヶ所のエージェントを持っていました。オーストラリア出身とのことでしたが、母国のマーケットはあまり広くないとのこと、さまざまなチャレンジをする仲間を目の当たりにして、日本はやっぱり恵まれているのだと、小さくうなずいたものです。私のようなものでも食っていける日本はいい国だなーと。

ただし、もっと多くの若いディレクターがお付き合いしてくれれば、もっといい国だなーとも、考えたものです。連絡待ってます(^^)

写真で描くこと

今回はすでに言い古されていて、でも、ちょっと目新しいことにスポットを当ててみようかと思います。

本来写真はスナップを楽しんだり、家族の表情をとどめたり、事件の証拠をのこしたりするというような、事実を忠実に残すことに重きを置いてきました。フィルムという感光材料に本当に短い時間に残された像には、人が手を加えたり、見たものと違う事柄を記録したりすることは不可能であるという不問律がベースになっていましたし、いまでも写真は事実以外は記録できないと思っている人がいるのではないでしょうか。

そこが絵画とは根本的に違っていますね。この視点の存在する場所の違い、これは大きなことですが、この違いによって新たな芸術が生まれることになった。ハイパーリアリズムの動きは、絵画なのにまるで写真のようだ! という驚きと感動がムーブメントの中心です。

それと同様に写真でもそんな驚きや感動を与えることができないものでしょうか。ここで絵画の逆をこころみたらそんなムーブメントを作ることができるのでしょうか。

ちょっとここに誤解しやすい史実があるのです。というのも、写真が生まれたと同時に、絵画をまねる試みが始まったのです。でもこれは当然のことで、写真の前には写真はなかったのですから、いままでにある絵画をその新しい素材に適応しようとする試みも無理もないことですね、それ以前にあったカメラオブスキュラなどは、まさに絵画のための自然などのトレース機でしたしね。

わたしは同じことをここで言おうとしているのでしょうか、ちがうんですね。私はここで写真にもっと柔軟性を与えたいのです。被写体からの離脱、ちょっとかっこいいですが、どういう事かというと絵画と写真とのもうひとつの違いは、そのシステムから、写真には被写体がいるということです。とうぜん写る対象物が存在するから写真なんですね、これが絵画との違いですね、この被写体をとらなければならない使命から開放されようという話なのです。

心霊写真はべつとして、合成写真でも作品を作るためには被写体・素材が必要です。自分のイメージに合わせた素材の選択が作品の命でしょう。でも、これでは初期の絵画をまねるというコンセプトと実質は違いがありません。

そんな考えの中から、素材の束縛を超えた作品を作っています。たとえば自分自身、セルフポートレートです。自分という被写体は確かに存在します。しかし自分が十人十色、まったく別の人物になっていく。仮装したり、合成したりするのではなく、自分を変化させるのです。どうやって?今は内緒です、そのうちお見せすることができると思います。そのときを楽しみにしていてください。

«デジタル撮影について思うこと