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写真で描くこと

今回はすでに言い古されていて、でも、ちょっと目新しいことにスポットを当ててみようかと思います。

本来写真はスナップを楽しんだり、家族の表情をとどめたり、事件の証拠をのこしたりするというような、事実を忠実に残すことに重きを置いてきました。フィルムという感光材料に本当に短い時間に残された像には、人が手を加えたり、見たものと違う事柄を記録したりすることは不可能であるという不問律がベースになっていましたし、いまでも写真は事実以外は記録できないと思っている人がいるのではないでしょうか。

そこが絵画とは根本的に違っていますね。この視点の存在する場所の違い、これは大きなことですが、この違いによって新たな芸術が生まれることになった。ハイパーリアリズムの動きは、絵画なのにまるで写真のようだ! という驚きと感動がムーブメントの中心です。

それと同様に写真でもそんな驚きや感動を与えることができないものでしょうか。ここで絵画の逆をこころみたらそんなムーブメントを作ることができるのでしょうか。

ちょっとここに誤解しやすい史実があるのです。というのも、写真が生まれたと同時に、絵画をまねる試みが始まったのです。でもこれは当然のことで、写真の前には写真はなかったのですから、いままでにある絵画をその新しい素材に適応しようとする試みも無理もないことですね、それ以前にあったカメラオブスキュラなどは、まさに絵画のための自然などのトレース機でしたしね。

わたしは同じことをここで言おうとしているのでしょうか、ちがうんですね。私はここで写真にもっと柔軟性を与えたいのです。被写体からの離脱、ちょっとかっこいいですが、どういう事かというと絵画と写真とのもうひとつの違いは、そのシステムから、写真には被写体がいるということです。とうぜん写る対象物が存在するから写真なんですね、これが絵画との違いですね、この被写体をとらなければならない使命から開放されようという話なのです。

心霊写真はべつとして、合成写真でも作品を作るためには被写体・素材が必要です。自分のイメージに合わせた素材の選択が作品の命でしょう。でも、これでは初期の絵画をまねるというコンセプトと実質は違いがありません。

そんな考えの中から、素材の束縛を超えた作品を作っています。たとえば自分自身、セルフポートレートです。自分という被写体は確かに存在します。しかし自分が十人十色、まったく別の人物になっていく。仮装したり、合成したりするのではなく、自分を変化させるのです。どうやって?今は内緒です、そのうちお見せすることができると思います。そのときを楽しみにしていてください。

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